#25 太宰さん

近頃は、わりに早く起床するようになった。
心を入れ替えた訳ではなく、あまり眠れないのである。だいたい三時間か四時間で目が醒めてしまう。
夜更かしは相変わらずなので、午前四時とか五時とかにベッドに入り、八時とか九時とかに起きてしまう。酷い時は一時間ほどで起きてしまい、やることがないので、コーヒーを煎れ、山の稜線から昇ってくる朝日を眺めたりしている。
思うように眠れないのは不快だが、このところずっと天気が安定しているので、午前中の日差しを窓辺で浴びるのは、それなりに心地好い。 夏のあいだ、あれほど凶暴に思えた太陽が、人が変わったように優しく、温かい。
「晴れた日に永遠が見える」という映画が昔あったが、たしかに、おだやかに陽を浴びていると、いろんなことが心に訪れてくる気がする。 好きだったひとのことや、若くして死んだ親友のことなどが思われてくる。
今日までのいろんなことが順不同に立ち現れて、俺もそれなりに生きてきたんだなあ、と思ったりする。
知り合いの貸してくれた名言集の本などを取り上げ、パラリと捲ると、ボードレールやスタンダールに混じって、太宰治の言葉があった。小説「晩年」のなかの一節である。

〈死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織り込められていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。〉

太宰治 「晩年」

ふと目にとまったそんな言葉が、なぜだか胸に沁みた。