#26 エンゲルベルトフンパーディンク

〈エンゲルベルト・フンパーディンク〉というクドい名前の歌手が一時期すきだった。
名前もクドいが、この人は顔もクドい。
だがなんともいえない、伸びのあるいい声をしていて、元メロをちょっと崩して歌うセンスとか、なかなかよかった。

だがべつに、この人の事をここで語りたい訳ではない。
いまボンヤリと〈時間〉というものを考えていて、ふと思い出したことを書いてみたいと思っただけだ。

中学生の頃、自分の部屋で、この人のシングル盤〈太陽は燃えている〉という曲を聴いていた時、いや正しくは聴こうとしていた時、盤を取りだしターンテーブルに乗せようとして、ふとそこに記載されているクレジットが目に入った。 〈太陽は燃えている 2分58秒〉そう書かれていた。そうか、2分58秒か、そう思った。
それだけのハナシであるが、ふわり、とした疑問が、そのとき脳裏をかすめた。

2分58秒という時間が、盤の中にカタマリとして閉じ込められている。
時間が固体化している。
そのことが何か奇妙に思えた。
その固体化した2分58秒が、いまレコードという形で自分の手のひらに乗っている。
つまり〈時間〉が、手のひらに乗っている。
(いやいや時間は手のひらに乗らんだろう)
そう思うが、しかしげんにいま、2分58秒が手のひらに乗っている。
針を落とすことで、この2分58秒は解凍され、流出する。
うーん。
これが中学生の私に、なんだかフシギだったのである。

長い時を経て、三十歳を過ぎた頃、忘れていたその時の気分の続きが唐突に訪れた。
(あ!、俺達は皆、一枚のレコード盤だ!)
ほのぼのレイクに当月分の返済をし終えた高円寺駅前で、突然そう思った。
返済して、また利用限度額いっぱいまで借りてしまった帰り道だった。
ちっとも、ほのぼのなんかしていなかった。
それはともかく、(我々は、ひとりひとりが、数十年がかりで再生されている歌なんだ!)そう思った。
(歌であるひとりひとりの人生は、すでに録音済みであり、それがただ再生されている、それが人生だ、ナガオカのレコード針がレコードを再生させるように、意識という針がこの日々を再生させているのだ、それが人生だ!そうだったのか!)私は借金も忘れ、心に叫んだ。
(とすれば意識という針を変えれば、自ずと歌も、つまり人生も変容するのではないか)妄想はつづく。(人生というレコード盤には、実は無数の曲が多重に収められていて、意識の変化によって如何様にも曲は変わっていく、そういうことなのではないか、運命は、同時に、無数に枝分かれする未来を匿しているのではないか、それは時空の仕掛けた罠でもあり、同時に希望への入口でもあるのだ!) 忘れもしない不二家のペコちゃんの前でそう思った。ペコちゃんは肯いた。私が頭を叩いたからである。

ちなみにこの高円寺駅前のペコちゃんは、その後、店頭から店内に移された。
ペコちゃんを盗んでいくボンクラが各地に出没したからである。
熱心なペコちゃんファンの仕業かと思っていたが、そうではなく、かなりの値で取り引きされているのらしかった。薬局のサトちゃんもまた、同じような目に遭っているらしい。

世も末だと思った。

〈時間〉について書こうとしたが、ペコちゃんで締めてしまった。ま、いいか。