#84 梅雨入り

いやいや、この数日は、おもに午後、歌をせっせと動画に撮っている私です。

午後、というのはつまり、会社員と思われるお隣さんが仕事に行っている時間に、という事であります。

本当は夜の10時を過ぎたあたりから気持ちが盛り上がってくるので、そんな時間にこそいい歌が歌えそうな気もするのですが、やはりそこは私も年齢だけはオトナですので、迷惑になるような事は致しません。 昔は結構致しました。

さて、動画はご覧の通りスマホ相手にギター一本という極めてチープなものですが、頭の中ではアレンジされたベースやピアノやパーカッションが鳴っていまして、ああ多重録音したいなあ、などと欲張った事も考えますが、この部屋では無理ですね。誰か私に人里離れた高原の山荘でも買ってください。できたら長野の蓼科あたりがいいです。蓼科、昔恋人と行った場所なもので。いらんこと言ってますね、私。

ともかくそんな感じで、この三日ほどで十数曲の歌をスマホに収めましたが、しかしまー、どの曲も、どの曲も、同じ服着て、同じ顔して、同じ部屋の同じアングルで老醜をさらけだして歌う自分を見ていて、なんだかなあ、という気はするのですが、私としては、手元でくすぶっている自分の歌達を世の中というものに触れさせてやりたい、思いはそればかりであります。

ネットという電子の海へ舟を出して、ひとつひとつの歌達が、その航海のなかで誰かの心に出逢える事がもしあったなら、私にとって、これにすぐる幸福はありません。 本日はお日柄も良く、梅雨入りしたジトジトの空ですが、けして心にカビを生やす事なく、皆様におかれましては(以下略)

#83 ♪「ダンスダンスダンス」


昔つくった歌を、ふと思い出して歌ってみた。
夜更けに、録ったそれを再生しながら窓の外を眺めていると、過ぎていった時間が波のように自分に打ち寄せてくる。
この歌をつくった頃の町の匂いまでが還ってくる。
あのコはいまどうしているだろう。
そんなことを思ったりする。

*

#82 自宅ライブ「道」


心のままに 生きて
心のままに いま
気がつけば いつか日は暮れて
ふり向く こんな遠い町で

幸せという 言葉
かなしみという 言葉
町角に いま零れて
消えてく 夢の欠片のように

時は遠く 流れ
心を遠く 運ぶ
また巡る ことがあるなら

もう一度 この道を歩く

*

#80 初めてのお使い

「部屋で撮ったライブ動画をブログに送信したいのだが、容量オーバーで送れない」

という事をこないだここに書いたら、それを読んだのだろう、東京の後輩が、「YouTubeにupして、そのリンクをブログに貼り付ければ出来ますよ」とそう教えてくれた。

有り難いアドバイスなのだが、〈リンクをブログに貼り付ける〉この言葉自体が私には外国語に思える。

ナニをナニに貼り付けるって?

しかしまあ、考えてみれば、ブログにせよ、歌にせよ、管理人であるA君に負担をかけっぱなしの私である。
少しは自分でやってみるか、そう思う。

やってみれば、ああそーゆー事か、こーゆー事か、とおいおい見当もつくだろう。
真っ暗な洞窟で少しづつ目が慣れてくるように。

たぶん。

メイビィ。

アイホープソウ。

#79 証し

散歩の途中でふと思いつき、100円ショップに寄って「スマホスタンド」なるものを買って帰った。

以前このブログの管理人であるA君が「100均でそーゆーのを買えば自分の部屋で簡単にライブ動画が撮れますよ」と言っていたのを思い出したのである。

川沿いをブラブラ歩きながら最近つくった自分の歌をくちづさんでいるうち、(ああ今の自分の歌を残しておきたいなあ)という思いがつよくなり、ふと、以前のA君の言葉を思い出したのである。

人生の第四コーナーをすでに廻った今、手元にある自分の歌を外に放出しておきたい、無視されようが関心を持たれようが、せめて世の中に置いてやりたい、そんな気分がある。

で、夜、机にスタンドを置き、それにスマホを立て、その前で三曲ばかり歌って動画に撮ってみた。

集合住宅なので隣室に気を使いながらの遠慮がちなライブではあったが、再生すると、まーまー、聴ける程度の音は録れていた。

だからとりあえず音はそれでいいとして、しかし、いやはや、歌う自分の映像にはマイった。
考えたら、こんなふうに自分を客観的に見ることなど殆んど無かった。
(…ああ俺、老けたなあ)
解りきった事ではあったが、それをまざまざと感じる時間だった。

しかしまあ、これも俺という男が存在した証しだ。

そう思い、その動画をこのブログに放り込んでおこうとしたのだが、

「容量オーバーで送信デキマセン」

スマホはニベもなく言うのだった。

なんだそうなのか。

サッパリ解らん。

ちぇっ。

*

#78 グリーンマイル

窓から町並みを眺めているうち、スティーブン・キングの「グリーンマイル」という小説を思い出した。

映画にもなったので知ってる人は多いと思うが、あのタイトルである「グリーンマイル」というのは、死刑囚が刑場へ向かう通路の事なのだと何かで読んだ。

アカデミー賞候補がレッドカーペットを歩くように、死刑囚は刑場に向かってグリーンの通路を往くのだとか。

実際にそれが緑色をしているのか、緑色というものを何かの象徴としたスラングなのか、よく知らないが、ただ、それを読んだ時、つまりは我々もまた、生まれた瞬間から死に向かって歩き始める、それぞれのグリーンマイルを往く囚人なんだなと、そんな事を思った。

だからどうしたという話でもなく、ただ思い出した事を書いてみたかっただけである。

いろんな人生があるが、所詮は「通路」なんだなと、夏を思わせる六月の日差しのなかで、ふとそう思っただけの事である。

行き止まりの通路なのか、何処かへ通じるドアの待つ通路なのか、それは知らないが、むしろそれを決めるのは、この通路を自分がどう歩くかという事なのかも知れない。

たかが野球、されど野球、と言ったのは江川だが、
たかが通路、されど通路、
そんな気はする。

#77 ターザン

こないだ散歩の途中で友人の仕事場へ寄り、昔のテレビ番組の話などをするうち、ターザンの話になった。

あんなジャングルの奥地にナゼ筋骨逞しい白人の男が居たのだろうか、と友人Bが言う。
そういやそうだな、とターザンの生い立ちを二人で考えてみた。

もしかしたら劇中でちゃんと説明されていたのかもしれないが、そんなものは忘れてしまっているオヤジ二人である。

いろいろ考えた末、探検家の父親についてきた息子がジャングルで父親にはぐれ、取り残され、なぜかそこでスクスクと育ったのではないか、と、そんな事にしておいた。

それにしてもターザンは、いま思えば、あのジャングルでいったいナニとタタカッていたのだろう。

泳いだり、走ったり、ワニをやっつけたり、ツルにぶら下がって雄叫びをあげたりしていたが、もしかしたら、あの男さえ居なければジャングルは平和だったのではないか。 あのデカい男が一人でジャングルを騒がせていたのではないか、
ターザン、もしかしたら迷惑な奴だったのではないか、

そんな気もした。

関係ないが、古い知り合いに「ターザン丸山」という男が居る。
二十代の頃、南九州をライブツアーしたときの音響スタッフだった。
今も久留米のほうで元気に音楽関係の仕事をしているらしい。
奥さんの名が「ジェーン」なのかどうか、それは知らない。