四階の窓から夏の町並みを眺めていたら、なんだかこの歌が歌いたくなった。
歌いながら、松尾健一のことを思い出していた。
高校の頃、あいつとよく歌ったなあ、この歌。
健一、元気でやってるか?
パソコンで設計とかやってるくせに、ネットとかには興味ない奴だから、たぶん俺のブログなんて見ないだろうけど、
この歌を、お前に捧げるよ。
いや、あの頃の俺達に捧げよう。
コード間違えたけど 😄✌
第16回太宰治賞受賞作家 小説家・シンガーソングライター
昨日、友人と門司の和布刈(めかり)神社という所へ行った。
べつにそれが目的だった訳でもなく、メシ喰いがてら何処かブラッとしようか、という事でクルマを出し、とりあえず関門橋を渡って下関へ行き、そこから海を眺めていたら、対岸に神社が見えて、友人が、「あれは和布刈神社だ」と言うので、(…ああ和布刈神社)、とふと思い出される事があり、行ってみよー、という事になった次第である。
高校生の頃、松本清張さんの小説を随分読んだ。文庫になったのは殆んど読んだのではないかと思う。
その中で、「Dの複合」だったか「ゼロの焦点」だったか、なんかもう色んな作品がごっちゃになって判然としないのだが、そのあたりの作品の中に、和布刈神社で行われる神事がアリバイのネタになっていた作品があった、と、それを思い出したのである。
で、小雨降るなか、うねうねとクルマを走らせ、海辺のその神社を訪ね、しばらくの時を過ごした。
さほど広くもない境内を持つ地味な神社ではあったが、そこに流れ、今も留まり続けているかのような数百年という時間に、なにかボンヤリしてしまった。
伝統というのは、やはり凄いものである。
フォスターという作曲家がいる。
19世紀の人である。
「オールド・ブラック・ジョー」「故郷の人々」など多くの美しい曲を書き、一時は持て囃されたこの人も、やがてガーシュインなどが台頭してくるなか、飽きられ、落ちぶれて、最後はその日を凌ぐ金もない困窮のなか、ニューヨークの安宿で一人ひっそりと死んでいったらしい。37歳の若さだった。
彼が死んだ時、その場末の安宿のベッドの枕元に、今も世界中で愛されている「ビューティフルドリーマー・夢見る人」というあの美しい曲の楽譜が置いてあったという。この話を昔ラジオで聴いた時、私は涙がでた。 世の中というものは随分理不尽なものだと思ったりしたが、今はすこしちがって、人生というのはそういうものなんだろう、とそんな風にも感じる。
フォスターに捧ぐ、というのではないが、どこかでそんなフォスターの一生を重ねつつこの歌をつくった。