#94 「夏休み」


四階の窓から夏の町並みを眺めていたら、なんだかこの歌が歌いたくなった。

歌いながら、松尾健一のことを思い出していた。

高校の頃、あいつとよく歌ったなあ、この歌。

健一、元気でやってるか?

パソコンで設計とかやってるくせに、ネットとかには興味ない奴だから、たぶん俺のブログなんて見ないだろうけど、
この歌を、お前に捧げるよ。

いや、あの頃の俺達に捧げよう。

コード間違えたけど 😄✌

#93 神社

昨日、友人と門司の和布刈(めかり)神社という所へ行った。

べつにそれが目的だった訳でもなく、メシ喰いがてら何処かブラッとしようか、という事でクルマを出し、とりあえず関門橋を渡って下関へ行き、そこから海を眺めていたら、対岸に神社が見えて、友人が、「あれは和布刈神社だ」と言うので、(…ああ和布刈神社)、とふと思い出される事があり、行ってみよー、という事になった次第である。

高校生の頃、松本清張さんの小説を随分読んだ。文庫になったのは殆んど読んだのではないかと思う。
その中で、「Dの複合」だったか「ゼロの焦点」だったか、なんかもう色んな作品がごっちゃになって判然としないのだが、そのあたりの作品の中に、和布刈神社で行われる神事がアリバイのネタになっていた作品があった、と、それを思い出したのである。

で、小雨降るなか、うねうねとクルマを走らせ、海辺のその神社を訪ね、しばらくの時を過ごした。

さほど広くもない境内を持つ地味な神社ではあったが、そこに流れ、今も留まり続けているかのような数百年という時間に、なにかボンヤリしてしまった。

伝統というのは、やはり凄いものである。

*

#92 「夢に会いにいこう」


演歌をつくってみよう、と思ってつくった歌である。

もうすこし言うと、テレビで島倉千代子さんのドキュメンタリーを見るでもなく見ているうち、なんとなく頭のなかでモヤモヤと出来た歌である。

母を亡くして間がないせいか、人の一生というものが、ひどく切なく愛おしい。

大スターの一生であれ、名もない庶民の一生であれ、同じである。

心の描線だけが、そこに残る。

「お母さんもね、いろんな夢があったとよ」

そう微笑っていた母を思い出す。

#91 いつものように


母が逝った。

長患いで、最後は自分で栄養も摂れない状態だった。

主治医から余命宣告と言っていい言葉を聞かされ、なにか途方に暮れる思いで病院を後にしたのが、ふた月ほど前だった。

それからの日々のなかで、なすすべもないまま、この歌をつくった。

ありふれたラブソングに聞こえるでしょうが、
これは母の歌です。

昨日、母を見送った空は、
青空でした。
*

#90 「東京キッド」


美空ひばりさんの歌が好きである。

とりわけこの「東京キッド」、それから「あの丘越えて」といった曲がたまらなく好きである。

なにかこう、歌っていても聴いていても、そこに日本人が確かに居る、という感じがする。

いま、日本という国は有るが、そこに日本人はもう居ない ような気がする。

#88 「イッツオールライト」


フォスターという作曲家がいる。
19世紀の人である。
「オールド・ブラック・ジョー」「故郷の人々」など多くの美しい曲を書き、一時は持て囃されたこの人も、やがてガーシュインなどが台頭してくるなか、飽きられ、落ちぶれて、最後はその日を凌ぐ金もない困窮のなか、ニューヨークの安宿で一人ひっそりと死んでいったらしい。37歳の若さだった。
彼が死んだ時、その場末の安宿のベッドの枕元に、今も世界中で愛されている「ビューティフルドリーマー・夢見る人」というあの美しい曲の楽譜が置いてあったという。この話を昔ラジオで聴いた時、私は涙がでた。 世の中というものは随分理不尽なものだと思ったりしたが、今はすこしちがって、人生というのはそういうものなんだろう、とそんな風にも感じる。

フォスターに捧ぐ、というのではないが、どこかでそんなフォスターの一生を重ねつつこの歌をつくった。

#87 見上げてごらん夜の星を


昔の歌謡曲が好きである。

私が子供の頃は歌謡曲とは言わず「流行歌」と言われていた。
レコード盤にもちゃんと「流行歌」と記されていて、流行する前から「流行歌」としているあたりが、いかにも昭和らしくてほのぼのする。 母によると、私は小学生の頃、家の中でそうした流行歌ばかり歌っていたらしい。坂本九さんの「素敵なタイミング」とかが好きだったのは憶えている。

思えばずいぶんと、時間が過ぎたものである。