#12 キレイゴトもほどほどに

世の中、キレイゴトだらけである。
寝る前にニュースでも見ようかとテレビをつけると、いきなり、

「夢は必ず叶う!」

とか言ってタレントがガッツポーズをしたりしている。
「なわけねーだろ」と、ついツッコんでしまう。

「人間は素晴らしい!」
「人生はワンダフル!」
あっちでこっちで、そんなことばかり言っている。
そんなプラスの言葉ばかりに埋め尽くされて育った子供は、やがて成人して世の中に出たとき、きっとこう思う。

「人間は素晴らしくなんかないじゃん!」「人生はワンダフルじゃないじゃん!」

いやいや人間は充分素晴らしいし、人生はそこそこワンダフルなのだが、彼がそう思えないのは、人間や人生に対する期待値が高すぎるのである。 キレイゴトに洗脳されて期待値がいきなり目盛り90あたりから始まっているから、少々のことでは満足できないし、逆に、少々のことで傷つき、絶望する。 そんな絶望が臨界点に達したとき、知性がある場合は鬱病になり、知性に乏しい場合は、通り魔殺人などをしでかす。

極論ではあるが、そんな構図が見える気がする。

キレイゴトは、ほどほどにしといたほうがいい。

#11 曖昧の豊かさ

なにか突然、秋である。
ハイ、ここから秋デス、と線でも引いたように季節が変わった。
なんだったんだ、あの暑さは。
季節までが、0と1のデジタル化されたかのようである。

      *

昔、まだレコードとCD がごちゃ混ぜに併存してた頃、CD で聴くニール・ヤングより、レコードのニール・ヤングのほうが音が丸い気がした。 丸い、というか、膨らみを感じた。
つまり、アコースティックギターの音が、微妙に違う気がした。

たぶんノイズを感じていたのだろう、と思う。
CD が必要無いものとして削ぎ落としたノイズ、弦の周辺の気配のようなものが、レコードには残っていて、それがなんとなく、膨らみのある心地よさとして耳に届いていたのかも知れない。

似たようなことをテレビにも感じる。
これでもか、というくらい画像が鮮明になっていくが、あれは観る側の想像力を衰えさせつづけているような気がする。

女優さんの隠していたいコジワまで映してどうする、NHK。

いつからか世の中の価値基準が、ムダかムダでないか、損か得か、ノイズか非ノイズか、そればかりになってしまった気がするが、ムダとされるもののなかには、大事なものが沢山ある気がする。

季節はゆっくりと変わったほうが、きっと体にもいい。

#10 ネオン

博多でライブハウスをやっている昔の音楽仲間が、「バンドやろうぜ」と言うので、やることにした。

私は博多から電車で四十分ほどの町に住んでいるのだが、「電車賃が無い」と言うと、「出しちゃるよ」と言うので、いよいよやることにした。

梅雨の明けた六月半ば頃のことだった。

その後、何度かヤツの店へ出向き、セッションした。

なかなかいい感じだ。

「秋にはライブやろうぜ!」
とかヤツは言っていたが、すでに秋である。
遊んでばかりで曲の仕上がりには程遠い。
もしかしたら来年の秋のことを言っていたのかも知れない。

      *

朝までやっている店なので、「どうせなら始発で帰ればいいやん」とか言ってくれるが、そうもいかず、夜11時の電車で帰るべく、私は店を出る。 若い頃は朝まで歌っても平気だったものだが、いまや三時間ほどでくたびれる。

ダルいような、心地好いような疲れのまま、大通りを駅へ歩く。
平日の夜更けにもかかわらず、人が途切れることなく行き交っている。

途中、那珂川という川を渡る。
昼間はそうでもないが、夜の那珂川は、へんにせつない。
両岸に並ぶネオンサインが、川面に映って揺れている。
その、波にちぎれて揺れる一つ一つのネオンのかけらが、むかしむかし若者だった自分達がこの街でめざした夢の一つ一つのように思われてくる。

橋にもたれ、すこしぼんやりする。
死んだやつのことや、行方の知れないやつのことを思う。三時間でくたびれてしまう自分の衰えを思ってみたりもする。時間だけが、容赦なく過ぎていく。

(でもたのしかったよな)
那珂川に尋ねてみる。

いい夢をみたのか、わるい夢をみたのか、
いまはもう、どちらでもいい。

#9 目に見えぬもの

哲学者で、京都大学の教授だった西田幾多郎さんは、幼い娘を病気で亡くしたとき、その悲しみのなかで「我が子の死」という随筆を書いている。
一部抜粋してみる。

「…今まで愛らしく話したり、歌ったり、遊んだりしていた者が、忽ち消えて壺中の白骨となるというのは、如何なる訳であろうか。もし人生はこれまでのものであるというならば、人生ほどつまらぬものはない、此処には深き意味がなくてはならぬ、人間(略)は、かくも無意義のものではない(後略)」

四十代だった私は、読んで強く共感した。
私などがあの西田幾多郎に「共感」などと言うのはおこがましいのだろうが、氏の語る言葉の芯のようなものが、すとん、と私にはいってきた気がした。

ちょうど、阪神淡路大震災、一連のオウム事件、と、人間の幸福よりも、そうでない部分のほうが目につく時期だったせいもあるのかも知れない。
 
     *

もし人生というものが、目に見え、手に触れ、耳に聞こえるもの、ただそれだけのものだとしたら、
「人生ほどつまらぬものはない」
私もそう感じる。

産まれて、生きて、死ねばそれきりの、ただそれだけのものだとしたら、
悲しみや不幸が、ただ悲しみや不幸として置き去りにされるだけのものだとしたら、
そんな解りきったことだけで人生というものが出来上がっているのだとしたら、

そんな人生なんぞ、たったいまやめてしまうがいい、とさえ思う

      *

私は、この足りてない頭で、性懲りもなく、宇宙というものを考える。
人間がこうあることのカラクリと、そのカラクリを宿して宇宙は一体何をしたいのかと考える。

わかるわけがない。

だが、それでいいのだとも思う。

私はたぶん、それをわかりたくて考えるのではなく、それはわからないのだということを確かめたくて考えている気がする。大事なのは、わからない、ということなのだと。

わからないから、そこに幸福や希望を問うことができる。
問いつづけるかぎり、問いとしての幸福や希望は失われない。
問いつづける私は、問いつづけることで、問いとしての幸福や希望に出会うことができる。

     *

だからどうした、とか言われそうである。
べつにどうもしやしない。
あした晴れるといいね。

7 September, 2018 09:16

私のツィッターに言葉を寄せてくださった、北海道の
棚花尋平さん、ご無事でしょうか。

言葉もないですが、無事を願ってます。

#8 某月某日

窓の向こうにかなり強い雨が降っている。
雨はどちらかというと好きなほうであり、雨を怖いなどと思ったことは、これまでなかった。
しかしこの所の大雨が各地に大きな被害をだしている様子をニュースなどで見るにつけ、雨というのも怖いものなんだな、と、今更だが、思うようになった。

ひと月ほど前の大雨のとき、すぐ近くを流れる一級河川が氾濫寸前になり、近隣住民に避難指示が出されるということがあった。
私は、傘をさし、川を見にいった。普段はスケボーで遊ぶ若者などで賑わう河川敷は、濁った水を満々とたたえ、両岸の道路のギリギリにまで迫っていた。
橋の上に立ち、すぐ足元を流れていく倒木などを眺めながら、私は、それとは全然関係のない、いつか見たニュースのことなどを思い出していた。落とし物として届けられた金品を、派出所の警官が私物化したというものだった。

      *

市民にとって信頼の象徴であるような職業に就く人が、何か不祥事を起こすと、必要以上に大きく報道されてしまう。
そうして、「近頃の警察は」とか、あるいは「近頃の教師は」と叩かれる。「信頼を裏切る行為」などと新聞の社説になったりする。

しかし叩いている私達は、叩くまえに、たとえば警官や教師に対して、ほんとうに信頼の気持ちを、いま持っているだろうか。
人に言っているのではない。自分に問うているのである。

「昔の先生は立派だった」

私の親世代の人達はよくそう言う。その口調には、教師という職業に対しての素朴な尊敬や信頼が感じられる。

確かに、生まれつき立派な人柄そのままの先生も居たに違いない。しかし逆に、周囲の人達の尊敬や信頼が、その人のなかに立派な何かを育(はぐく)んでいった、ということもあるのではないだろうか。 感謝されている、信頼されてると思えば、その信頼に応えようとする心のはたらきが、人間にはあるのではないだろうか。
信頼もせずに、感謝もせずに、信頼や感謝に値する行為だけを、私達は彼らに求めているのではないだろうか。

教師にせよ、警察官にせよ、考えてみれば、大変な仕事である。
「尊敬も感謝もされないで、こんな大変な仕事、マジメにやってられるか」
そんな気分が、彼らの意識のどこかにあり、それがときに不祥事として具現化しているということも、あるのではないだろうか。

      *

空と人間の関係にも、似たようなことがあるのかも知れない。
気象というものが、これまでにないような凶暴な乱れかたを今しているのだとしたら、それはもしかしたら、私達の、天にたいする感謝や畏れの気持ちが、極端に薄らいできているからではないか。

氾濫寸前の川を眺めながら、そんなことを考えた。

#7 映画

BS で録画していた「アリスのままで」という映画を、昨夜観た。
大学で言語学を教えるバリバリのキャリアウーマン(成人した三人の子供をもつ五十歳の女性)が若年性アルツハイマーになり、そこからの病気の進行の様子や、それにつれて変わっていかざるを得ない本人や家族達の姿が描かれていた。 重いテーマだが、観る側に何を押し付けるでもなくテンポよく展開していくので、一時間四十分、全くダレることなく観れた。

映画を観る際、私の勝手な評価項目として、
1.ストーリーがよかった
2.役者がよかった
3.映像がよかった
4.音楽がよかった
というのがある。
このうち1つでも該当してくれれば、その映画は私にとって観てよかった映画ということになる。
この映画の場合は2である。ジュリアン・ムーアがやはり素晴らしかった。夫役のアレック・ボールドウィンは、やや残念であった。エド・ハリスとかだといいなあ、と思いながら観ていた。なんならニコラス・ケイジでも。

ところで、見終えて思い出したのだが、韓国ドラマで似たシチュエーションのものが前にあった。日本語のタイトルは「記憶」だったか。こちらはバリバリの初老の男性弁護士が、やはり若年性のそれになる、というものだったが、これもまたいい役者さんが演っていた。

「アリスのままで」は、本編の最後の最後、エンドロール直前のジュリアン・ムーアが、とてもとても、素晴らしすぎる。
たしかアカデミー賞主演女優賞をもらったんだよな、これ。

#6 フォークソング2

前回、余計なことを書いているうちに途中で忘れてしまったことを思い出した。

十六歳の時、ハーモニカホルダーを自分で作ったという話をしたかったのだった。

しかしなぜ、わざわざそんなものを作ろうとしたのか、それがよく解らない。
買えばいいではないか、という気がする。せいぜい千円くらいのものだったのではないだろうか。確かに十代の少年にとってあの当時の千円は大金ではあったろうが、しかし工面できないほどの額でもない。げんに四百円のEPレコード、二千円のLPレコードなど、頻繁にではないが、どうしても欲しいと思えば買っていた。

考えられるのは、我が田舎町の楽器屋にハーモニカホルダーが置いてなかった、この可能性が高い。
あるいは、「お取り寄せになりますが」みたいなことを楽器店のオヤジは言ったのかも知れない。生来のセッカチで待つのが嫌いな性分の俺は、なら作っちゃれ!、そう思ったのかもしれない。

ともかくも、俺はそれを作ろうとした。
ボブディランの写真を見ながら、あーして、こーして、と作りかたを思案するうちに、ふと、(べつに首に掛ける必要はないのではないか)、とそう思った。要は、ギターを弾きながらハーモニカが吹ければ、それでいいのだ。 そうして考えたあげく、いま思えば、妙なものを作りあげた。

物置から二本の釘と太目の針金を持ってきて、まず、首が入る間隔で二本の釘を部屋の壁に打ち付けた。それぞれの釘に針金を巻きつけ、延ばしたそれを折り曲げ、もひとつ折り曲げ、壁からVの字に持ち上った形のものを二本つくった。それを二重の針金で繋ぎ、その中央部をすこし広げ、そこにハーモニカを挟み、両端を締めて固定した。 そうして、腰をかがめ、リンボーダンスをするように下から首を入れ、あらかじめ脇に置いていた椅子を引き寄せて、それに座った。
どこか中世ヨーロッパの拷問の道具に似ていた。

立て掛けておいたギターを取り、胸に抱く。目の前にハーモニカ。ニール・ヤングの「孤独の旅路」のイントロをやってみた。素晴らしい瞬間だった。レコードと同じ雰囲気の音が自分の演奏として聴こえてきた時の感動は、それはもう、じつに、じつに、じつに、であった。
「モーリス持てば、スーパースターも夢じゃない!」十六歳の俺は叫んだ。

たまたま部屋に入ってきた母親は、そんな俺を見て、「あのとき私は何かをあきらめた」と、のちに語っていた。

#5 フォークソング

私は元フォーク小僧である。
〈モーリス持てば、スーパースターも夢じゃない!〉とか言われてモーリスギターを買ったクチである。十五歳の夏のことだったと思う。
その後どんどんフォークソングがメジャーとなり、ニューミュージックとか言われだした頃からあまり聴かなくなったが、先祖帰りとでも言うのか、六十を過ぎたこのごろ、思い出すままに部屋でよくフォークソングなどを歌っている。

元々は兄や兄の友達とかの影響で、ビートルズやストーンズに親しんだ少年だった。中学に上がってからはラジオの深夜放送などを聴くようになり、洋楽の、主にシングル盤をよく聴いた。CCR、とか、ザ・ショッキングブルー、とかの、あのあたりである。ニール・ヤングの孤独の旅路とか、ユーライアヒープの七月の朝とか、イカした歌が沢山あった。ニルソンの〈ウイズアウトユー〉などは今でも聴く。ちなみにこの曲はバッドフィンガーがオリジナルで、バッドフィンガーには〈明日の風〉といういい曲もあった。

そのあたりとカブるように、フォークソングというものがラジオを中心に徐々に世の中に広まっていったように思う。学生運動のお兄ちゃん達が新宿西口広場で岡林信康の〈友よ〉とかを歌ったりしているのを、ニュース映像か何かで見た記憶がある。
その頃までは、まだ俺は洋楽小僧だった。俺をフォークソングに引き摺り込んだのは、吉田拓郎という人で、〈今日までそして明日から〉という曲をオールナイトニッポンで耳にした時、(あ、こうゆうのやりたい!)と強烈に思い、以後、私は破滅への道を辿ることになるのである。

評論家みたいなことを書いているうちに、何の話がしたかったのか忘れてしまった。
ともかくも、六十二歳のいま、たとえば泉谷しげるの〈春夏秋冬〉、及川恒平の〈雨が空から降れば〉、友部正人の〈一本道〉、そうした歌の一つ一つが、しみじみ沁みる俺なのである。

#4 猫

猫と暮らしてもう九年になる。盛り場の路地に蹲(うずくま)っていたのを連れて帰ったものである。左の手のひらに軽々と乗せて帰ったのを憶えている。つまりそのくらいの幼さだった。

それが九歳になった。(九年も一緒にいるのか)と時のはやさに驚いてしまう。猫の九歳といえばもうオバサンである。にもかかわらず、避妊手術をしたせいか、いつまでも幼さが抜けない。

腹がへると、目の前にきて、じ、っと俺を見詰める。空腹アピールをしているのである。そんなアピールなどしなくても、ドライフーズはいつも皿に盛ってあるのだから勝手に食べればよさそうなものだが、こちらが何か言うまで、じ、っと見詰めつづける。
「なんだよ」と、例えばそう言ってやると、それで何か得心したように、ごはん皿に歩いていってカリカリと食べはじめる。つまり言葉はなんであれ、こちらの発語が或る種の〈許可〉を与えるかたちになるらしい。食べ終えると、またそばに来て伸びをしてみせたりする。満足アピールである。
それからしばらくは、一人で遊んでいる。
自分の体を舐めたり、ゴロゴロしたり、床に転がった消しゴムに大袈裟に襲いかかったり、いろいろやっている。
しかしそのうちまた正面にやって来て、またじ、っと俺を見詰めはじめる。「今度は何だよ」と言うと、そそくさとトイレに行く。オシッコしたいアピールだったらしい。そしてまたしばらく遊んでいる。 やがてまた正面にくる。そうしてまた見詰める。その目がシバシバしている。眠いのである。「眠いなら寝ろよ」と言うと、うん、とばかりにゴソゴソと毛布に潜り込んでいく。

全ての行動にアピールと許可が伴う。だから長時間外出したときなど、そのあいだにトイレにいった痕跡も、ごはんを食べた様子もない。帰ってくると、腹へった、トイレいきたい、眠い、どれがどれやらわからないアピールが一斉に始まる。いいトシをして依存性が強すぎる。トイレにいってもついてくる。風呂に入ってもついてくる。来客があると脅えて泣く。だからほとんど人を部屋に上げることはなくなった。俺の暮らしは地味になるばかりだ。面倒臭いやつだとつくづく思うが、こいつがもし居なくなったら、きっと俺は泣くと思う。