#4 猫

猫と暮らしてもう九年になる。盛り場の路地に蹲(うずくま)っていたのを連れて帰ったものである。左の手のひらに軽々と乗せて帰ったのを憶えている。つまりそのくらいの幼さだった。

それが九歳になった。(九年も一緒にいるのか)と時のはやさに驚いてしまう。猫の九歳といえばもうオバサンである。にもかかわらず、避妊手術をしたせいか、いつまでも幼さが抜けない。

腹がへると、目の前にきて、じ、っと俺を見詰める。空腹アピールをしているのである。そんなアピールなどしなくても、ドライフーズはいつも皿に盛ってあるのだから勝手に食べればよさそうなものだが、こちらが何か言うまで、じ、っと見詰めつづける。
「なんだよ」と、例えばそう言ってやると、それで何か得心したように、ごはん皿に歩いていってカリカリと食べはじめる。つまり言葉はなんであれ、こちらの発語が或る種の〈許可〉を与えるかたちになるらしい。食べ終えると、またそばに来て伸びをしてみせたりする。満足アピールである。
それからしばらくは、一人で遊んでいる。
自分の体を舐めたり、ゴロゴロしたり、床に転がった消しゴムに大袈裟に襲いかかったり、いろいろやっている。
しかしそのうちまた正面にやって来て、またじ、っと俺を見詰めはじめる。「今度は何だよ」と言うと、そそくさとトイレに行く。オシッコしたいアピールだったらしい。そしてまたしばらく遊んでいる。 やがてまた正面にくる。そうしてまた見詰める。その目がシバシバしている。眠いのである。「眠いなら寝ろよ」と言うと、うん、とばかりにゴソゴソと毛布に潜り込んでいく。

全ての行動にアピールと許可が伴う。だから長時間外出したときなど、そのあいだにトイレにいった痕跡も、ごはんを食べた様子もない。帰ってくると、腹へった、トイレいきたい、眠い、どれがどれやらわからないアピールが一斉に始まる。いいトシをして依存性が強すぎる。トイレにいってもついてくる。風呂に入ってもついてくる。来客があると脅えて泣く。だからほとんど人を部屋に上げることはなくなった。俺の暮らしは地味になるばかりだ。面倒臭いやつだとつくづく思うが、こいつがもし居なくなったら、きっと俺は泣くと思う。