#11 曖昧の豊かさ

なにか突然、秋である。
ハイ、ここから秋デス、と線でも引いたように季節が変わった。
なんだったんだ、あの暑さは。
季節までが、0と1のデジタル化されたかのようである。

      *

昔、まだレコードとCD がごちゃ混ぜに併存してた頃、CD で聴くニール・ヤングより、レコードのニール・ヤングのほうが音が丸い気がした。 丸い、というか、膨らみを感じた。
つまり、アコースティックギターの音が、微妙に違う気がした。

たぶんノイズを感じていたのだろう、と思う。
CD が必要無いものとして削ぎ落としたノイズ、弦の周辺の気配のようなものが、レコードには残っていて、それがなんとなく、膨らみのある心地よさとして耳に届いていたのかも知れない。

似たようなことをテレビにも感じる。
これでもか、というくらい画像が鮮明になっていくが、あれは観る側の想像力を衰えさせつづけているような気がする。

女優さんの隠していたいコジワまで映してどうする、NHK。

いつからか世の中の価値基準が、ムダかムダでないか、損か得か、ノイズか非ノイズか、そればかりになってしまった気がするが、ムダとされるもののなかには、大事なものが沢山ある気がする。

季節はゆっくりと変わったほうが、きっと体にもいい。