#5 フォークソング

私は元フォーク小僧である。
〈モーリス持てば、スーパースターも夢じゃない!〉とか言われてモーリスギターを買ったクチである。十五歳の夏のことだったと思う。
その後どんどんフォークソングがメジャーとなり、ニューミュージックとか言われだした頃からあまり聴かなくなったが、先祖帰りとでも言うのか、六十を過ぎたこのごろ、思い出すままに部屋でよくフォークソングなどを歌っている。

元々は兄や兄の友達とかの影響で、ビートルズやストーンズに親しんだ少年だった。中学に上がってからはラジオの深夜放送などを聴くようになり、洋楽の、主にシングル盤をよく聴いた。CCR、とか、ザ・ショッキングブルー、とかの、あのあたりである。ニール・ヤングの孤独の旅路とか、ユーライアヒープの七月の朝とか、イカした歌が沢山あった。ニルソンの〈ウイズアウトユー〉などは今でも聴く。ちなみにこの曲はバッドフィンガーがオリジナルで、バッドフィンガーには〈明日の風〉といういい曲もあった。

そのあたりとカブるように、フォークソングというものがラジオを中心に徐々に世の中に広まっていったように思う。学生運動のお兄ちゃん達が新宿西口広場で岡林信康の〈友よ〉とかを歌ったりしているのを、ニュース映像か何かで見た記憶がある。
その頃までは、まだ俺は洋楽小僧だった。俺をフォークソングに引き摺り込んだのは、吉田拓郎という人で、〈今日までそして明日から〉という曲をオールナイトニッポンで耳にした時、(あ、こうゆうのやりたい!)と強烈に思い、以後、私は破滅への道を辿ることになるのである。

評論家みたいなことを書いているうちに、何の話がしたかったのか忘れてしまった。
ともかくも、六十二歳のいま、たとえば泉谷しげるの〈春夏秋冬〉、及川恒平の〈雨が空から降れば〉、友部正人の〈一本道〉、そうした歌の一つ一つが、しみじみ沁みる俺なのである。

#4 猫

猫と暮らしてもう九年になる。盛り場の路地に蹲(うずくま)っていたのを連れて帰ったものである。左の手のひらに軽々と乗せて帰ったのを憶えている。つまりそのくらいの幼さだった。

それが九歳になった。(九年も一緒にいるのか)と時のはやさに驚いてしまう。猫の九歳といえばもうオバサンである。にもかかわらず、避妊手術をしたせいか、いつまでも幼さが抜けない。

腹がへると、目の前にきて、じ、っと俺を見詰める。空腹アピールをしているのである。そんなアピールなどしなくても、ドライフーズはいつも皿に盛ってあるのだから勝手に食べればよさそうなものだが、こちらが何か言うまで、じ、っと見詰めつづける。
「なんだよ」と、例えばそう言ってやると、それで何か得心したように、ごはん皿に歩いていってカリカリと食べはじめる。つまり言葉はなんであれ、こちらの発語が或る種の〈許可〉を与えるかたちになるらしい。食べ終えると、またそばに来て伸びをしてみせたりする。満足アピールである。
それからしばらくは、一人で遊んでいる。
自分の体を舐めたり、ゴロゴロしたり、床に転がった消しゴムに大袈裟に襲いかかったり、いろいろやっている。
しかしそのうちまた正面にやって来て、またじ、っと俺を見詰めはじめる。「今度は何だよ」と言うと、そそくさとトイレに行く。オシッコしたいアピールだったらしい。そしてまたしばらく遊んでいる。 やがてまた正面にくる。そうしてまた見詰める。その目がシバシバしている。眠いのである。「眠いなら寝ろよ」と言うと、うん、とばかりにゴソゴソと毛布に潜り込んでいく。

全ての行動にアピールと許可が伴う。だから長時間外出したときなど、そのあいだにトイレにいった痕跡も、ごはんを食べた様子もない。帰ってくると、腹へった、トイレいきたい、眠い、どれがどれやらわからないアピールが一斉に始まる。いいトシをして依存性が強すぎる。トイレにいってもついてくる。風呂に入ってもついてくる。来客があると脅えて泣く。だからほとんど人を部屋に上げることはなくなった。俺の暮らしは地味になるばかりだ。面倒臭いやつだとつくづく思うが、こいつがもし居なくなったら、きっと俺は泣くと思う。

#3 台風

よくまあ次から次に台風が。
呆れる思いでテレビのニュースを見ていた。今回も各地で大きな被害がでている。
そんなときに不謹慎かも知れないが、ニュースを見ながら、ふと子供の頃の台風の夜を思い出していた。(あの頃の台風は、ノンキなものだったな)。そんなことを考えていた。
べつに昔の台風が今よりノンキなものだったわけでは、当然ない。死者何人、行方不明者何人、という台風はいくらもあった。台風がノンキだったわけではなく、自分たち子供がノンキだっただけである。ノンキという以上に、台風接近!とか聞くと、どこかワクワクするものさえ感じていた。
「午後から風雨が強まる」といった予報がでると、学校は午前中までで、家の近い生徒同士かたまって集団下校させられた。教員住宅が近所にあったせいか、先生と一緒に帰ったこともあった。
家に帰ると、親父は屋根の上でテレビのアンテナを針金で強化したりしている。母は縁側の鉢植えやら何やらを座敷に移している。祖母は祖母で、あれは非常食ということだったのか、汗をかくように大量のオニギリを握ったりしていた。近所のオジサンが屋根の上の親父を手伝いに来たり、公民館のスピーカーが台風への備えをハウりながら町内に促したり、そうした町じゅうの慌ただしさが、へんに子供心をワクワクさせるのだった。 追い立てられるように風呂に入らされ、早々とパジャマを着させられ、雨戸を叩く風の音がしだいに激しくなっていくなかで晩ごはんをすますと、お約束のように停電となる。
テレビも消えて、数本のロウソクに火を灯しただけのほの暗いお茶の間で、そんなとき母はよく子供達に歌をうたわせた。私は四人兄弟の末っ子だが、だからなのか、いつも最初に歌わされたような気がする。母によれば、坂本九の〈素敵なタイミング〉とかを私は歌っていたらしい。すぐ上の兄貴も歌が好きな男で、進んで何曲も歌っていた。姉もまた、のちに高校で合唱部に入るような人だから、そんなとき唱歌か何かをたぶん歌ったのだろう。いま思えば、けっこう歌好きな一家だったのだな。オーストリアのトラップファミリーほどではないにしろ。
ケータイもスマホもなく、一台のテレビを家族全員で見ていた頃の、そんな記憶がある。

#1 辻内智貴 「歌う廃人」 *私は本当に役に立たない*


辻内智貴「ブルースを唄ってくれ」

さて。
ブログなるものを始めてみようとしている私なのである。友人のA君が全てセッティングしてくれたもので、私自身はブログもフロクもわからないボンクラである。きっと見かねてのことなのだろうと思う。

「最近は作品も発表してないようだし、何か気軽に書いてみたらどうですか」

私より三つほど若いA君はそう言って、こういう場所をわざわざつくってくれたのである。頭が下がる。
しかし自分で言うのもなんだが、私は本当に役立たずな人間で、世間と殆ど没交渉の廃人候補である。何も生産せず、ただ、だらだらとカネがもつ間生きていようかなというだけである。私にあるのは、散歩と、もの思いと、ギターを弾いて歌をうたうこと、それぐらいである。そんな私が、このニギヤカなネット世界に置く言葉など持ち合わせているとも思えないのだが、しかしまた、この役立たずっぷりを半ば遺書でも綴るようにつれづれに書いておくのも面白いなと、そうも思った次第である。役立たずには役立たずにしか出会えない言葉がある。それは案外、他にはない価値を持っているのかもしれないと、そんな気もしたのである。

      *

夕刻、ぶらぶらと川べりを散歩しながら、

「しかし我々は毎日ここで一体何をしているのだろう?」

そんな余計なことを考えてみるのである。
考えるまでもなく、生活というものをしているのであろうが、しかし生活とはなんなのだろう。私も含め、みな毎日を普通に暮らしてはいるが、考えてみたら、なぜこうして暮らしているのかレッキとした理由は誰も知らない。星空を見上げて、流れ星だ!、とか言ってはいるが、宇宙の正体が何なのかは誰も知らない。この宇宙の外側のことなど、もっと知らない。それを見上げるこの場所にナゼいま自分が居るのかもわからない。なぜ産まれたのか、なぜ老いていくのか、なぜ死ぬのか、ほんとうのところ、誰も、まったく知らない。知らないまま、食べて、飲んで、笑って、泣いて、働いている。ステージで人生という劇をそれぞれにやりながら、そのじつ、劇場の場所も名称も、その外観すら知らないでいる。

ヘンだ。

と思うのである。
私がヒマすぎるのだろうか。それもある。しかしそんななかで、つまりは、私もやっぱり、人間の幸せというものを探しているのではある。だがそれにはやはり、なぜ「こうあるのか」が先に知られなければならない気が、どうしてもするのである。
嬉しい、楽しい、面白い、というのは巷に溢れている。私の身にも多少はある。しかし、宮沢賢治ではないが、ほんたうの、ほんたうの幸せ、というのは、やはり、「なぜこうあるのか」を考えるところから始まる気がするのである。

     *

そうした「なぜ生きているのだろう」的な問いを所有した時、ある意味ヤバいのは、我々はすでにここに産まれてしまっているということである。ゲームはとうに始まっているのである。我々は観客席にいるわけではなく、人生というグラウンドで絶え間なくプレーしつづけているプレーヤーなのである。プレーヤーがプレー以外に余念を持つことは、じつは危険なことでもあるのである。

野球選手は野球をやりながら、「野球とは一体何なのだろう」とはたぶん考えない。いや絶対考えない。考えたとしたら、もうその人は野球選手ではない。ゴロを捕り、一塁に投げようとして、(…しかしなぜ一塁なのか、野球とはなんなのか、あの人をアウトにすることに一体何の意味があるのか、あんなに一生懸命走ってるではないか)とか考えた瞬間、その人にとっての野球自体が崩壊する。そしてたぶんクビになる。

生きながら生きる意味を問うという行為も、似たようなものである。日常の営みの整合性が壊れていく。なんだか全てが虚ろとなり、いちいちがおろそかになっていく。一種の病気である。症状としては、怠惰、無関心、テキトー、昼まで寝てる、回転寿司が好き、などがある。一見、ただの寿司好きの怠け者と区別がつかない。実際ただの寿司好きの怠け者が混じっている場合もある。私がそうかもしれない。どっちにしろ役立たずである。
歌う廃人。人は私をそう呼ぶ。

初めまして、辻内智貴のオフィシャルHPブログを開設しました。

皆さん、初めまして。辻内智貴オフィシャルHPブログの管理人です。

私は辻内智貴さんのファンでありブログ管理人です。

辻内さんの小説に出てくる青空のような澄んだ心を持った人々の暖かい作品に感動して、ネットを通じて多くの皆様に辻内智貴さんを知って頂きたいと思い、かなり辻内さんに無理なお願いをして、オフィシャルHP&ブログを開設致しました。

きっと多くの皆さんの人生の指針や、暇つぶし(^^;)になるだろうと思います。

先日、逝去なされた津川雅彦さんが演じる辻内さんの小説映画「セイジ -陸の魚- 」のおじいさんの言葉が、「セイジ、数多くの本を読んだお前ならこの苦しみをどうすればいいのか知っているだろう。教えてくれ」と言うようなくだりがあったのですが、私にはその人の心に寄り添う事しかできないような気がします。

そして、あなたの心に寄り添ってこれからの人生を見守ってくれる辻内智貴の文章だと思います。
—————–
著作権は放棄していませんので、辻内智貴の著作になります。後に書籍化も考慮していますので何卒ご了承下さいませ。

当サイト「辻内智貴 オフィシャルページ」に掲載されている情報についての著作権は放棄しておりません。当サイト記事からの引用に関しましては現在「引用元の明示とリンク掲載」によって無償で引用頂けます。ただし、全文転載は固くお断りいたしております。引用許可範囲についても、事前予告なくこれを変更する事があります。また、当サイトのRSSを利用し、コンテンツをそのまま盗用することも禁止しています。
また、辻内智貴のお仕事のご依頼はお問い合わせのページからお願い致します。