#53 日本海

数日前、知人から、
「いま長野の善光寺に来てまーす!」というメールを貰った。

懐かしい記憶が甦り、「いやー、善光寺、俺も昔いったことあるよ」そう返信したのだが、しながら、(ああそうだった、善光寺へは自転車で行ったのだった)と、そのことを思い出した。

いやべつに福岡から長野まで自転車で行ったわけでは、当然ない。
もう三十年ほども昔の話で、その頃私は、東京杉並に住んでいた。
どういう経緯だったのか、もしかしたら家賃が払えなくなったのか、ともかく、部屋を引き払って自転車で旅に出よう、とふと思ったのである。それもカゴの付いたママチャリで。

といって、東京から長野まで自転車で行ったという訳でも、またない。
なんとなく北に向かって漕ぎ出そうかと考えていたとき、高円寺の友人が、ちょうど仕事で長野へ行くという。
ハシヅメという気のいい食堂の息子だったが、〈パンサー〉だったか、そんな名前のゴツい四駆を持っていて、それで行くという。
「自転車、積めるよ」というので、じゃあとりあえず長野までクルマで行って、長野界隈をチャリでブラブラしてみるのもいいな、とそう思い、実際そうしたのである。 それで善光寺へも自転車で行ったのさ、という長い説明でシツレイしました。

そのあとは、長野を三日ほど寝袋担いでブラブラしたあと、今度は新潟の友人が長野まで迎えに来てくれて、そのまま自転車とともに、新潟小針市の彼の家に数日泊まったんだったな、たしか。

それから、新潟の友人(孤高の天才ギタリスト)に別れを告げ、日本海沿いの町々を眺めながら、自転車でキコキコと南下していったのだった。

どの町も、海と共にあり、やや荒れ気味の海は、しかしかなしいほどにうつくしく、胸に沁みた。

数日前までダイエーやらイトーヨーカ堂やらの買い物に使っていた自転車で日本海を旅している自分が、なんだか不思議だった。

自転車も、「いやー、自分、こんな所を走れる日が来るとは思ってなかったスよ、最高っすねー」とか言ってヨロコンでいた。
富山で棄てられるとも知らずに。

右に日本海を眺めながら、ふと飛騨高山へいってみようかと思いついた私は、地図を眺め、とても自転車でいける地形ではないと判断して、富山駅前の駐輪場に自転車を置き棄てて、野麦峠で苦労しているだろう大竹しのぶを救うべく、列車に乗り込んだのであった。

いやー、探せばどっかに写真もあると思うけど、
若かったなー、じつに。

暑い暑い夏だった。

ちなみに、このときの旅を
ベースにして、のちに〈セイジ〉という小説を書きました。