きのう夜更けに、大阪の知人からメールがきた。
子猫を引き取れないだろうか、というものだった。
犬の散歩に出たら、野良の子猫がトコトコついてきて、けっきょくずっと家までついてきてしまって、いまとりあえず家に置いているのだが、母親が猫アレルギーなので飼うわけにはいかず、「予防接種等々はこちらで済ますから」という条件で里親を探してみたが見つからない、
…無理ですよね?、
と、思い余ってのことだろう、私への打診のメールだった。
引き受けてやりたいが、いま居る9歳の猫が、その子猫にどう反応するかが解らない。仲良くしてくれればいいが、新参者を虐めるといった話もよく耳にする。 それに、これは余計な付け足しだろうが、私自身が、いつまでこうしていられるかわからないという事もある。
無理やねぇ
と返信した。
ですよね…
と、その文面はいまにも泣き出しそうなものだった。
交信を終え、携帯を置きながら、やさしい心ほどかなしみに出会うように出来ているんだな、この世界は、
と思った。
しかし、かなしみを知ることのない人生というのがもしあるとすれば、それは、もっとかなしい、まずしいことのような気もする。