#14 時の川

樹木希林さんが亡くなった。
私などには、悠木千帆、という響きのほうが懐かしい。
ドラマ「時間ですよ」のハマさん、だった。
また、「寺内貫太郎一家」の、きん婆ちゃん、でもあった。

この所、親しんだ芸能人、著名人の人が次々に亡くなっていく。
しかもそれが次第に加速しているような気さえする。

それはつまり、私自身が老いたからなのだ、ということに、この頃ハタと気がついた。(今頃かい)

考えてみれば、私は、自分を川岸に置かれた定点カメラであるかのような気分で生きてきた。
目の前を時間の川が流れ、そこを過ぎていく見知った人達を眺めては、ああ誰々も老けたな、誰々は亡くなったか、などと、まるで自分は時間の外に居るかのような気分で居たが、気がつけば、そんなことはなく、私も一緒に時の川を流れていたのだった。

流れるほどに、私も老い、やがて死ぬ。
それもそう遠いことではないんだなと、ちかごろ皮膚感覚でそう感じるようになった。

しかし思うに、この川の先は一体どうなっているのだろう。
流れの果てに、なにか生死を分ける滝のようなものでも有るのだろうか。
その滝に、ひとり、ふたり、と呑まれて落ちていくのが、死というものなのだろうか。

だとすれば、きっと、一人一人流れる早さが違うのだろうな。
二歳で死んだ子もいる。
傍に居る我々は、余りに早すぎる、そう呟くしかないが、本人は、もしかしたら、それで充分、人間の川を流れきったのかも知れない。何十年も流れる必要のない命だったのかもしれない。 我々は、いつか晴れて滝を落ちていける自分になるために、六十年、七十年、流れつづけるのかも知れない。

それにしても、滝に落ちて、更にその先は何んなのだろう。
音をたてて滝壺に落ち切ったとき、何か違うべつの〈もの〉に、我々はなるのだろうか。

#13 森田童子さん

森田童子さんが亡くなっていたことを、私はしばらくのあいだ知らなかった。
〈森田童子を支持する会〉という所から電話があり、「追悼式に何かコメントを頂けないでしょうか」と言われて初めて知った。

この頃、彼女の歌をよく聴いている。じつは今も聴いている。晴れた午後に、彼女の歌はよく似合う。
そのまどろむような歌声を聴いていると、過敏な神経にあえぎながらいつも助けをもとめていた少女のような姿が(勝手に)想像され、何かとても、いたわってあげたいような、そんな気持ちになる。

セレモニーとしてではなく、私個人の追悼として、そのとき書いた言葉をあらためてここに記したいと思った。

      *

森田童子を偲んで。

あれは四月の何日の事だったのだろう。
暖かな春の午後、ふと思いたって部屋の片付けを始めた。
要らないものを捨て、残すものを棚に押し込み、そんな事をしているとき、棚の奥に昔のフォークソングを集めた一枚のcdを見つけた。 ふと、久しぶりに森田童子が聴きたくなった。
片付けの手を休め、そこに収録されている「僕達の失敗」を聴いているうち、私は、なぜか泣いてしまった。
〈久しぶりに森田童子を聴いたら泣いてしまったよ。トシのせいかね〉そんなメールを宮崎に住む友人に送り、苦笑するように煙草に火を点けた。春の光が窓に射し込む、暖かな午後だった。

世の中の出来事に殆ど無関心に暮らしている私は、森田童子が死んだ事をずっと知らなかった。つい数日前にその事を知った。四月の某日に亡くなったと聞いたとき、彼女の歌をひとり聴いたその四月の午後の事を思い出した。そして、あれは四月の何日だったのだろうと思い、あのとき森田童子は逝ったのだろうか、などと勝手な事を考えてみたりした。

森田さん、すてきな言葉と歌声をありがとう。
お疲れ様でした。よい旅を。

辻内智貴

     *

ちなみに彼女の命日の四月二十四日は、私の誕生日でもある。 

#5 フォークソング

私は元フォーク小僧である。
〈モーリス持てば、スーパースターも夢じゃない!〉とか言われてモーリスギターを買ったクチである。十五歳の夏のことだったと思う。
その後どんどんフォークソングがメジャーとなり、ニューミュージックとか言われだした頃からあまり聴かなくなったが、先祖帰りとでも言うのか、六十を過ぎたこのごろ、思い出すままに部屋でよくフォークソングなどを歌っている。

元々は兄や兄の友達とかの影響で、ビートルズやストーンズに親しんだ少年だった。中学に上がってからはラジオの深夜放送などを聴くようになり、洋楽の、主にシングル盤をよく聴いた。CCR、とか、ザ・ショッキングブルー、とかの、あのあたりである。ニール・ヤングの孤独の旅路とか、ユーライアヒープの七月の朝とか、イカした歌が沢山あった。ニルソンの〈ウイズアウトユー〉などは今でも聴く。ちなみにこの曲はバッドフィンガーがオリジナルで、バッドフィンガーには〈明日の風〉といういい曲もあった。

そのあたりとカブるように、フォークソングというものがラジオを中心に徐々に世の中に広まっていったように思う。学生運動のお兄ちゃん達が新宿西口広場で岡林信康の〈友よ〉とかを歌ったりしているのを、ニュース映像か何かで見た記憶がある。
その頃までは、まだ俺は洋楽小僧だった。俺をフォークソングに引き摺り込んだのは、吉田拓郎という人で、〈今日までそして明日から〉という曲をオールナイトニッポンで耳にした時、(あ、こうゆうのやりたい!)と強烈に思い、以後、私は破滅への道を辿ることになるのである。

評論家みたいなことを書いているうちに、何の話がしたかったのか忘れてしまった。
ともかくも、六十二歳のいま、たとえば泉谷しげるの〈春夏秋冬〉、及川恒平の〈雨が空から降れば〉、友部正人の〈一本道〉、そうした歌の一つ一つが、しみじみ沁みる俺なのである。