#13 森田童子さん

森田童子さんが亡くなっていたことを、私はしばらくのあいだ知らなかった。
〈森田童子を支持する会〉という所から電話があり、「追悼式に何かコメントを頂けないでしょうか」と言われて初めて知った。

この頃、彼女の歌をよく聴いている。じつは今も聴いている。晴れた午後に、彼女の歌はよく似合う。
そのまどろむような歌声を聴いていると、過敏な神経にあえぎながらいつも助けをもとめていた少女のような姿が(勝手に)想像され、何かとても、いたわってあげたいような、そんな気持ちになる。

セレモニーとしてではなく、私個人の追悼として、そのとき書いた言葉をあらためてここに記したいと思った。

      *

森田童子を偲んで。

あれは四月の何日の事だったのだろう。
暖かな春の午後、ふと思いたって部屋の片付けを始めた。
要らないものを捨て、残すものを棚に押し込み、そんな事をしているとき、棚の奥に昔のフォークソングを集めた一枚のcdを見つけた。 ふと、久しぶりに森田童子が聴きたくなった。
片付けの手を休め、そこに収録されている「僕達の失敗」を聴いているうち、私は、なぜか泣いてしまった。
〈久しぶりに森田童子を聴いたら泣いてしまったよ。トシのせいかね〉そんなメールを宮崎に住む友人に送り、苦笑するように煙草に火を点けた。春の光が窓に射し込む、暖かな午後だった。

世の中の出来事に殆ど無関心に暮らしている私は、森田童子が死んだ事をずっと知らなかった。つい数日前にその事を知った。四月の某日に亡くなったと聞いたとき、彼女の歌をひとり聴いたその四月の午後の事を思い出した。そして、あれは四月の何日だったのだろうと思い、あのとき森田童子は逝ったのだろうか、などと勝手な事を考えてみたりした。

森田さん、すてきな言葉と歌声をありがとう。
お疲れ様でした。よい旅を。

辻内智貴

     *

ちなみに彼女の命日の四月二十四日は、私の誕生日でもある。 

#12 キレイゴトもほどほどに

世の中、キレイゴトだらけである。
寝る前にニュースでも見ようかとテレビをつけると、いきなり、

「夢は必ず叶う!」

とか言ってタレントがガッツポーズをしたりしている。
「なわけねーだろ」と、ついツッコんでしまう。

「人間は素晴らしい!」
「人生はワンダフル!」
あっちでこっちで、そんなことばかり言っている。
そんなプラスの言葉ばかりに埋め尽くされて育った子供は、やがて成人して世の中に出たとき、きっとこう思う。

「人間は素晴らしくなんかないじゃん!」「人生はワンダフルじゃないじゃん!」

いやいや人間は充分素晴らしいし、人生はそこそこワンダフルなのだが、彼がそう思えないのは、人間や人生に対する期待値が高すぎるのである。 キレイゴトに洗脳されて期待値がいきなり目盛り90あたりから始まっているから、少々のことでは満足できないし、逆に、少々のことで傷つき、絶望する。 そんな絶望が臨界点に達したとき、知性がある場合は鬱病になり、知性に乏しい場合は、通り魔殺人などをしでかす。

極論ではあるが、そんな構図が見える気がする。

キレイゴトは、ほどほどにしといたほうがいい。