#75 誕生日

昨日は63歳の誕生日であった。
何人かから〈おめでとうメール〉などを貰ったりした。
さすがに男友達からそういうのは無い。
あったら気持ちわるい。

で、暇なので、この、人間が〈生まれた日を祝う〉という行為は何なのだろうと考えてみた。

皆、普通に自然に当たり前に、お誕生日おめでとう、などと言う。
多種多様な民族がある事を思えば、生まれてきた事を呪う文化や風習が何処かに有ってもよさそうなものだが、たぶん無いだろう。

国を問わず、人種を問わず、宗教を問わず、また貧富も問わず、老若も男女も問わず、世界中の町々で今日も無数に誕生日が祝われている。

これはもう人間の本能としか思えない。
そして本能というのは真理を持っている。
従って、この世に生まれて来るというのは、本当に、祝福すべき事なのだろうと推察できる。

〈人間として生まれてくる事は奇跡に近い幸福だ〉と道元も言っていた。

しかし。
にしては、親が子供を殺したり、子が親を殺したり、誰かが誰かを苛めたり、騙したり、踏みつけたり、倒したり、そんな事が多すぎやしないか。

〈いちばん良いのは生まれてこない事だ。生まれてきたら、さっさと死ぬ事だ〉
by ニーチェ。

これはこれで言えている気もする。

人生は汚濁の海を行く航海であるか。
時に岩礁に乗り上げ、時に沈みつつも、大切な何かに出会うため、人は生まれて来るのかも知れない。
汚濁のなかにたとえ小さくとも光を見つけたなら、人生はもう、それでいいのかも知れない。

とキレイにまとめてしまった私であった。

ハッピーバースデイ。